小学2年、少年野球を始める。
小学5年、水泳を始める。
中学1年、友達に誘われ、軟式テニス部に入部。試合には出してもらえたけれど、その時点ではテニスの楽しさを見いだせずに結局退部。
中学3年、バレーボール部の引退試合にメンバーが足りず、皆を試合に出させてあげるため友達と一緒に入部する。もちろん結果は1回戦負け。
いろいろなスポーツにチャレンジしたが、結局どれもパッとしなかった。
特に輝かしい経歴があった訳でなく、中途半端な人生と言われたらそれまでだが、子供の時から働く事は大好きだった。
小学6年の冬、音楽好き(特にロックが好き。ボン・ジョビ世代!)な私は、オーディオ欲しさに、いとこの友人宅のお歳暮配達を紹介してもらう。軽自動車なら1日120件の配達のところ、小学生の私は自転車を必死に漕ぎまくり1日40件配達する。そして、バイト料とお年玉を合わせて念願のオーディオを購入。初めて働いて給料を貰うことの喜びを感じる。

その後も、いろいろなアルバイトをした。
高校卒業後、受験勉強をするでもなく、ディスプレイ(簡単にいうと看板屋)のアルバイトを始める。月給20万円の時期もあり、出張や夜勤など社員並みに働く。やがて工場長から「うちの会社に就職しないか?」という申し出があったが、「このまま就職してしまってもいいのだろうか?」と疑問に感じ、結局断る。
これが、私の運命の分かれ道であった。もし、この仕事を生涯の仕事として選んでいたなら、今の私は無かったであろう。
その後、私の将来を心配していた父にカイロプラクティックの学校へ入学するよう勧められる。父自身が仕事を転職して苦労した辛い経験から、私に手に職をつけさせるために医療の世界で仕事をして欲しかったそうだ。そして私もこの世界でやっていこうと決心し、入学する。ここで骨格矯正の基礎を学ぶ。やがて就職活動に入り、始めて面接に行った整骨院の先生が運命の出会いであった。
先生の整骨院の患者数は大阪でも常にトップクラスだった。面接後の治療所見学で、患者様の数の多さに圧倒される中、治療中の先生からいきなり握手を求められ、「いつから仕事に来てくれるのか?」と先生ペースで一方的に話が進められ、そのまま即決で就職を決める事となる。
そして私の修行時代がスタートした。
初めての1人暮らしだったが、安アパートで当然風呂・トイレ無し。隣は共同トイレで他人のトイレの音は聞こえるし、酔っ払いが夜中に私の部屋のドアを無理矢理開けようとするし、最初は本当にストレスの溜まる事ばかりだった。
そして悔しかったことが1つ、 アパートの家賃が隣の月極駐車場の家賃よりも安かったことである。「俺は車より価値が無いのか!いつかは駐車場より高い家賃のマンションに住んでやる!」と心に決めたつもりが結局、住めば都で退職するまで同じアパートに住み続けたのであった。
仕事が始まり私は当初雑用係だった。その中で見た先生の骨格矯正はまさに神業であった。患者様のつらい症状がその場で楽になり、先生が患者様から感謝されている姿をいつも尊敬の眼差しで見ていた。「早く先生の技術を学びたい!」と思っても、先生は、絶対に治療を教えてくれない。見て盗め、というタイプだった。
しかし、その技術をしっかり観察し、いつも仕事が終わったあとに先輩や同僚と夜遅くまで先生の治療を研究しながら技術を身につけていった。
その後、初めて患者様の治療を任され、とてつもない緊張感の中、治療した。「楽になりましたか?」と問いかけると、患者様が「本当に楽になったよ。ほら、こんなに腕が上がるよ。」と、おっしゃってくれた。その時の言葉が嬉しくて今でも忘れられない。
やがて患者様をたくさん任されるようになったが、まだ治療に自信があったとはいえない時期に、先生が国体の救護の仕事を取り仕切るようになり、治療所を空ける日が増える。先生がいないからといって治療所の信用を落とすわけにはいかず、残されたスタッフで必死になって施術した。治療中に重症の患者様が来院すると、患者様を待たせて先生の携帯電話に連絡し、的確な指示のもと処置をしていた(随分無茶な事をしていた)。しかしその経験からやがて院長代理を任命されることになり、院長になるための勉強をさせてもらうのであった。
そんな修行中にもかかわらず結婚し、1人目の子供が産まれた時に整骨院を開業するために柔道整復師の学校に入学する。午前・午後の仕事の合間に学校で勉強する毎日が始まった矢先に、2人目の子を授かるのだが、早産で3ヶ月も早く生まれる。幸い母子共に無事だったが、子供の体重は1sに満たず、3ヶ月間集中治療室(NICU)に入院した。いつも無事に育つよう祈る毎日だったが、そんな親の心配をよそに子供は何事も無く伸び伸びと育っていく。
仕事と学校と家庭、そして国家試験の受験勉強と本当に中身の濃い修行期間を送ったのであった。
そして、平成15年5月、つじ整骨院開院。
家族の協力なしでは開業までこぎつけることはできなかったであろう。
私を信じてくれる患者様のために、可能な限り早くつらい症状から開放していただき、健康になった自分の体に自信をもってもらえるよう施術・指導させていただく日々である。